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 田中知事が27日に記者会見した際の発言は、いろいろの報道機関で取り上げていた。時事通信社のネット上の配信ニュースでは次のことが載っていた。

◎「百条委は政治闘争の一環」=事実認定開始で-田中長野県知事
 長野県の田中康夫知事は27日の記者会見で、県議会調査特別委員会(百条委員会)が知事をめぐる問題に関し、2月議会に報告するため事実認定を始めたことに関連し、「百条委は政治闘争の一環として設けたものだと思っている」と述べた。田中知事は「議会は小説より奇なりだ」とした上で、「(私自身を)気にくう、気にくわないは結構だ。しかし、(議会に)出すもの全部をけってやろうということで、不幸になるのは誰だろうか」と語り、予算案の削除などに関する議会側の対応を批判した。(了)

 『気にくう、気にくわないは結構だ』これは政治手法に気にくわないのでそのまま受け入れるが、『(議会に)出すもの全部をけってやろうということで、不幸になるのは誰だろうか』と語っているのは容認できない。議会はいつどのように知事が提案した案件を全部けっているのだろうか。99・9%以上は議決しているのではないか。逆に議会の意見を聞かないで、懲りずに同じ案件を続けて定例会に提案してくる知事のほうがどうかしている。限られた予算の中で無駄遣いをしようとしている知事に、ブレーキをかけてどこがいけないのだ。聞く耳も持たずただ自分のわがままを通そうとしている知事の政治手法により不幸になるのは県民である。このような知事に認識がある限りは、田中知事は長野県と県民のための政治は出来ない。

 県のホームページでは『日経BPホームページ 「現代リスクの基礎知識」』の記載内容を引用し、これまでに長野県が、市町村や関係機関、地域住民の皆さんと一緒に行ってきた豪雪対策の活動が評価されています。とその記事を掲載している。

 わがHPの読者はすでに県のHPをご覧なっていると思うので、ここであまり紹介したくはないが、県の危機管理の意識もなく「緊急性がない」と、飯山市の要請を断っておきながら、よくもこんな記事を掲載できたなと、経選局の神経を疑う。常に自分のこと、自分の有利になることだけを考え、言葉だけ県民のことをいかにも慮っているような振りをしていながら、実は全く県民のことなど考えていないように感じてならない。どうも最近グチをこぼしているだけのようになり、われながらつらい毎日である。

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 昨日の田中知事記者会見の会見内容が、今朝の各新聞に報じられた。田中知事は「議会は小説より奇なりということだ」と反論したという。反論は結構だがいよいよ田中知事も、あまりにも真実を述べられ、返す言葉もなくなってしまったのかと思った。と同時に長野県知事としての資質を改めて疑ったところである。

 最初に申し上げておくが百条委員会は、元々政治闘争の一環として設置したものではない。あまりにも田中県政が私利私欲のでたらめな県政運営をしていたことを、2年にわたって総務警察委員会で真実を質してきたのだ。その際田中知事も含め、知事が寵愛し抜擢した側近の松林経営戦略局長も、議会が真実を求めようとした質問に一切応じないで、逆に疑惑を深めさせたのは紛れもなく2人の責任は大きい。まず、そこから端を発している事を知るべきであろう。やましいことがなければ総務警察委員会で明確に答弁すれば百条委員会など設置されなかったはずである。

 県議会や市長会、町村会などを挑発することが県知事として県民のための施策を推進する上で可とするべきことだろうか。220万の県民の心を、自分の政治遊びの道具にし、もてあそぶことは許すことは出来ない。『メールで報告があったとき:その時に、首根っこをつかまえて、お前は何をやっているのだ、といわなければならなかったのか』とも嘯いていたという。なぜ、そのように言葉と行動でやめさせなかったのか。知事として当然なことではないか。

むしろ自分がガラス張りの県政をうたい、県民に包み隠さない県政運営をします、積極的に情報公開をします。といってきたのは田中康夫長野県知事、貴方ご自身であることを、よもや忘れてはいないはずだ。それを承知で職員が公用文書を、今破棄しようとしている現実を知ったときは「やめさせる」事は誰が考えても当然な役目であると思う。『やめさせることが出来なかった』深い理由があったから出来なかった。だからこそ、見て見ぬ振りをして容認しただけであることは、県民等しく理解できることであろう。

27日の私のホームページで「論点整理した結果報告」を掲載してあるが、私の論理にいささかも曇りはないと自負している。論理となったメールのやり取りを根拠として示してもよい。今日は『移動志昂会in諏訪』で原村の『八ヶ岳自然文化園』に来ているので資料を持ち合わせていないので、近日中にお知らせし県民の皆さんのご判断を仰ぎたい。冷静にものを言えなくなったということは、統治者としての能力も心もなくし(もともとなかったかもしれないが)失格者となってしまった証なのだろうか。

 本日の移動志昂会in諏訪も、大勢の参加者の中で開かれた。今までの5回と進行方法を変え、参加者と質疑応答の時間を多くとった。参加者は高校改革推進の仕方について大きな疑問と不満を持っていた。やはり県民にとって大きな関心ごとであることが改めて知ることが出来た。熱い県民の訴えを正直に県教育委員会に伝え、その意見を無駄にしてはならないと感じた。また、この夏の知事選挙にも今まで以上に関心を持っていることが感じられた。

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 最近になり夏の知事選に向けた動きが多くなってきた。当然のことながら話題になることは県民のためにも、選択の幅が広がりよいことである。ただ気になることは、あのグループが立ち上がったから俺たちも、というような無作為な売名と思われるような行動はあってはならない。党利党略的行動も慎むべきであろう。一連の行動が私の憶測を超えてくれていればよいと願うものである。
 
 改革を県民も議会も「是」としてきたが、改革をしながら、これからの長野県をどう見つめていくのか、そのためどの部分(要素)の改革が求められているのか。改革の進め方等をどう進めていくべきか。改革で壊した組織・人事・事業等々どのように修復しつくりかえていくのか。それらをしっかり議論し、そのためにどのような経験をされ、どのような人物がリーダーとしてふさわしいのか。冷静に見極める必要があろう。
 
 現知事の改革姿勢評価など検証結果が発表されている。確かに評価できる点もあることは事実である。しかし、安易に評価を良とするのはいかがかと思う。『脱ダム』宣言により環境を重視した改革を全国にアピールした。と評価できる点を上げた政党がある。私は『脱ダム』発表が即環境を重視した改革に結びつく成果と判断してよいだろうかと疑問に思った。言葉だけを活字で見ればそのように感じるかもしれないが、県政の事業施策は改革に伴う相対効果も検証しなければならないのではないか。
 
 『脱ダム』は決して悪い改革ではない。そう出来ればより好ましいのである。ただし、その反面にある『地域住民の安全の担保』が確立されてこそ、『脱ダム』改革宣言を評価できるのではないか。現況において宣言以来『脱ダム』に変わる代替案が示されていないではないか。対象河川の下流側の河川・流域対策はいまだ決定されていない。そのような状況下で『環境を重視した改革』と評価してよいのだろうか。言葉だけであるならば小学生でも夢は語ることは出来る。220万人の県民の生活の安全を守ることも県知事の仕事の大きな役割の一つでもあるはずである。

 今の県議会も5年前の県政の姿に戻そうと思っている議員はひとりもいない。田中知事に県政を託した82万余の県民も、県政を後戻りさせたくはないが、県民に目を向いた振りをしていながら、実は自分のことだけしか考えていない田中県政の実態を見限っていることを重視するべきで、過去の82万票全てが県政を後戻りさせたくはないメッセージであると考えることはいかがなものか。もう少し考え方を明確にするべきではないか。

 私は発表した政党やK氏に文句を言うつもりはない。特にK氏は私のうちで以前「むすび」を食べながら歓談した方でもあるだけに、もっとはっきりものを言ってほしいと願うものである。今の県政について中途半端の検証と評価は、かえって県民に迷いを助長させるだけだと思う。明確な改革姿勢評価があってこそ、県民が本当の長野県の将来を託すリーダーを選択することとなると思う。それだけに私たち県議会議員を含め、県政に携わり県政の実態を知る人は、県民の皆さんに正確な情況を伝えることが求められているのではないだろうか。

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 例年ハードスケジュールの行事が続く年初め、ようやく一段落をした。出初式・各町村の賀詞交換会・各団体の新年会など、どの行事も一年の初めでもあり参集されてきている人々は、やはり一年の希望と期待をもたれた話が主となっている。
 
 長い間景気低迷に苦しむ商工業者など、経済産業に携わる皆さんは悲痛とも聞こえる会話が多い。今年一年を占う経済景況見込みは総じて上向き傾向である。と報じている。しかし、長野県において肌で感じ取られる景気回復感はまだ先となりそうである。私は『皆さんの企業の特長を生かされて、もうしばらく企業努力を重ねていただかなければならない』と、あいさつの中で付け加えさせていただいている。
 
 私の県議会議員の仕事の一つでもあるが、地域の多種多彩にわたる要望に対し、県と橋渡しをしなければならないことも多い。しかし、現況では本当に真剣に聞いていただいているのか疑問である。確かに職員は一生懸命メモを取り意見の交換をしてくれているのだが、中々結果が見えない。出来ないのか、もう少し待てば出来るのか、それすら分からない場合もある。かと思うと私たちが知らない間に、『えっ、そんな事業いつ決まったの。どこからの要望だったの。そんな予算いつの定例会で提案されたの。』と驚く場合もある。
 
 事業の客観的評価がされ、公正公平な事業採択が行われなければならないが、最近市町村からや現地機関からの事業計画の採択要請についても、どうも不透明感があるように思えてならない。豪雪災害の現地視察を実施した田中知事が、飯山市には10分の滞在、栄村等には1時間以上も机をはさんで要望を聞くなど、およそ県知事としての公正公平な県政運営をしているとは思えない行動が目に付く。もし知事選対策であるならば大きな間違いである。今やっていることは田中知事が一番嫌っていたことではないか。(前県政がどうであったかは定かではないが)18年度の当初予算を注目していかなければならないであろう。
 
 諸行事では8月の県知事選挙についての話題も多かった。関心のあるレベルの皆さんかもしれないが、私も県議会議員となって初めての知事選だけに、今までの状況と比較は出来ないが少なくとも反応は高いと思われる。やはり「これからの長野県を再建していくために、公正公平で県政運営できる人、県知事として専念できて、正しい確かな県政を考え創ってくれるリーダーを、皆さんの良識ある判断を期待します。」と聞かれたときに答えるようにしている。
 
 明日からは県内外での政務調査活動が多くなる。2月定例会に向けて充電のときでもある。しっかり心身ともに整理して充電期間をすごして生きたい。

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 県北部の記録的な大雪が続く地方の皆さんに、心からお見舞いを申し上げます。

 陸上自衛隊の災害派遣部隊が除雪作業を開始したニュースは、県の対応に問題があったがまず喜ばしいことである。それにしても県の危機管理の姿勢に驚き、あきれてしまう内容である。どたばた劇があったが、やっと自衛隊派遣申請を決断したことを良としようと思ったが 、本日の田中知事のコメントを見て怒りを覚えてきた。「政府が弱者救済のために自衛隊派遣の方針を示したことを受け、要請することにした」。自らの意思決定ではなかったのか。豪雪に苦しみ悩んでいる地域住民の切実な願いを理解したのではなかったのか。情けない。

全てが自分の決断も出来ない田中知事の現実をここでも垣間見たのである。危機管理はもともと持ち合わしていない。自分から進んで決断できることは、住基ネットや山口村問題に見られるように自分のパフォーマンス、世間に自分を売るときだけである。長野県民の安心安全、最小限度の快適な暮らしをどう考えているのだろうか。脱ダム宣言と同じように代替案があるといいながら、何も考えですらなく住民を欺いている人には期待するほうにムリがあるのかもしれない。

新潟地震のときは素早い対応をしておきながら、地元の住民が苦しんでいる時には対応すれ出来ないことは情けないことだ。今日は飯山地方を中心に視察はされたようだが、心のない視察は意味のないことだ。本当に県民の安全を考えるのであれば自らが心ある判断を下すべきである。

知事が知事ならナンバー2も、ナンバー3も大事な決断は出来ないが、つまらないパフォーマンスだけは知事以上である。県民サービスのために幹部が県庁内のトイレ掃除や、敷地内の除雪など『部長級サービス業務体験』を始めたという。改めて特にやらせの指示をし、しかも感想を所定の用紙にまとめて報告をさせるとのことだ。チョット感覚がおかしいのではないか。そのような活動は貴方(松林局長)が率先して報道機関まで呼んで行なうことなのだろうか。指示まで出して実施させることだろうか。しかも決められた書式に基づいて報告させるべきことか。

違うだろう。そのようなことは貴方が今まで実践してこなかっただけなのだ。良識ある人間は黙ってそのような行為は実践していることは知らないようだ。他に貴方はやることがあるだろう。よほど暇なようである。それともトイレ掃除があっているなら、そのまま続けてやっておられたらどうですか。ただし経営戦略局長の職は自ら返上されたほうがよい。一生懸命長野県民のために尽くそうとされている部課長のためにも。   

貴方は紙切れだけの報告という実績だけがほしいのか。報告というものはそのような人間として当然やらなければならない行為、やるべき行為については受けるべきではない。当たり前の行為は当たり前に受ければよいのだ。まず自らがトイレ掃除でも、除雪作業でも、自分が人間として自然の行為であるということが分かるまでやり続けることがよいだろう。

私の言っていることが間違っているなら、いつでも反論してくれて結構。あまり調子に乗らないで本来の局長としての仕事、人間としての心の道を学ぶべきであろう。最もこのようなアドバイスや提言を聞く裁量を持ち合わせていない人には分からないかもしれない。新年早々このような意見をUPすることは悲しいことだ。

今年こそは正道でまっとうな確かな県政をつくらなければ長野県は崩壊してしまう。心して一年を頑張っていこう。良識ある県民の皆さんの確かなご判断に期待したい。

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 いつも私のHPをご覧頂きありがとうございます。昨年は内外共に大きな自然災害や、残虐な事件など多い年でした。我が

長野県
にとっても決して満足できる年ではありませんでした。とりわけ県民の皆さんの日常生活、事業活動にとってもマイナス面が多かった県政に、県議会議員として是正できなかったことをお詫び申し上げます。今年こそは政権抗争などと言わせない、県民のための県政運営を目指すために努力いたす所存です。今年もよろしくご指導のほどお願い申し上げます。

 

 今年こそは県議会議員と県理事者側と県政について、喧々ごうごうと議論しあっても、『その部分はまだ理解できないが、この部分は納得した。どうすればその溝を生めることが出来るだろうか。』と建設的な議論が出来るような姿を作りたいものだ。そのことが県民の皆さんにとってプラスになり、幸せを生ませることになるのではないでしょうか。『胸襟を開く』まさにこの言葉の通り県のトップの御仁の心も開いていただきたいものだ。

 

 本来の仕事がしたい。これが偽りのない心境である。地元の皆さんや220万県民の皆さんの、切実な願いを時には県職員と激しい議論を重ねながら、少しでも実現できるようなそんな県政にしたいものである。やはり今はワンマンでなく強いリーダーシップの「社長」がほしい。そうすれば監査役的な私どもも余計な神経を使わないで、冷静で沈着な判断をもって県の政に協力できるのではないか。一日も早く本来の正常な県政を望むものである。今年の一年私ども県議会議員にとっても、重要かつ大事な年である。今年こそは天災のみならず、人災こそは自らの手で防がなければならない。そんな良い年にしたいと願うものである。

改めて今年もよろしくお願いいたします。

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