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 田中県政もあと2日を残すだけとなった。先日、最後の会見が行なわれた。田中康夫さんらしいと言えばそうであるが、長野県知事として最後の会見となれば、やはりコレでよいのかと思わざるを得ない。もっと真面目に6年間の総括をするべきではなかったのか。最後までスター気分で、まるで知事選挙に勝ってやめていくようである。あえて湿った会見をする必要もないが、最後まで県民をはぐらかしながら去るつもりのようである。  

 検証委員会の報道は仲間のHPでも取り上げていたが、25日に私のところへ「検証委員会について」メールが届いた。私たちが指摘したとおりの、結果ありきの、まさに公平性を欠けた田中康夫擁護の委員会であったと言える内容である。メール送信者の了解が得られたので以下そのメールを紹介してみよう。

高見沢 様                                         

                                           ●●●●●

 5月18日頃、検証委員会への出席について、澤田副知事から電話で依頼があったため、正式に文書で行うべきとしたところ、翌日速達で文書が届きました。内容は、5月25日に都道府県会館で委員会を開催するので、午後1時40分から30分程度、出席しろとの事でした。警察の事情聴取中であり、また、発言がどの様に取り扱われるのかも全く示されない事と、30分程度の聞き取りとは何のために行うのかが見え見えであり、更に、30分のために東京まで出てこいと言うことが余りに理不尽と考え、長野で開催するよう指摘し、出席をお断りしました。

 その後、全く何の連絡もなく、いきなり今回の報告となったことに、大きな憤りを感じています。そもそもが、答ありきの委員会とは思っていましたが、余りにも露骨すぎます。知事の「指示していない」との一方的な言い訳を、真実と認定した根拠は何なのか?司法の捜査が進んでいる時に、あえてこの様ないい加減な報告書を出す、委員達とは一体何なのか? いつものように、委員会という隠れ蓑によって、強引に真実を曲げようとする姿に、改めて、「村井新知事」誕生の必然性を強く感じております。

 少なくとも、県民の税金で調査を行うならば、形だけでも公正性を確保することが大前提と考えますが、今回の委員会活動は、これさえも無視したものとなっております。特に、委員の中に、公正性を確保すべき監査委員が含まれながら、この様な活動を税金で賄おうとする事に「田中県政」の真の姿が見えています。「田中康夫」を個人的に支援するための活動に、県民からお預かりした税金は一円たりともあてるべきではないと考えます。 ○○○○○○ ○○○○○。 

 先日もこの検証委員会について私の考えを述べたので、今日はこれ以上意見を述べるつもりはないが、報道の皆さんはこのような事実も承知で発表されたのだろうか。もし、そうでなければ改めて真相を調査され、事実を県民の皆さんに明らかにされたらいかがであろうか。

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 今日の各報道では一斉に百条委員会の結果に対する、公文書破棄等に関する県独自の検証委員会の結果が発表されたと報道された。私は検証委員会設置の際も、何故県が県費を使って独自に設置しなければならないのか疑問を呈した。そのとき既に県や県議会から離れ捜査機関に委ねているからである。もっと早い段階で検証されることは理由も付けられたかもしれない。現在に至っての検証結果報告は捜査機関に対しても失礼なことであろうし、不当な圧力をかける事にはならないか。

 百条委員会も違法の可能性の事実が認められたから告発に至っているのである。でも、田中知事に対して違法性がないとの結論は今の時期に報告されることはいかがなものか。また検証委員は長野県の実態を掌握された上で検証が行なわれたのだろうか。確かに一連の流れから見れば本来、法的には知事に権限が及ばないかもしれない。当然公文書公開請求に基づき担当部課長で処理できる問題であり、公文書を公開すれば終わっていたはずである。また担当された上司も公文書破棄の指示は当然出す必要がなかったはずである。しかし、「公開できなかったこと」「公文書不存在と発表したこと」は紛れも無い事実である。

 当時の長野県の実態はどうであったか。すべて田中知事に報告し、知事の決済が必要とされていた。公文書破棄に至るまでをタイムリーに、克明に報告されているメールが、知事に送付されていた事実を見ただけでも明らかである。
その実態を考慮しないで現実の結果のみを検証し判断するのは間違っている。それでは「トカゲの尻尾きり」のみで終わってしまうだけである。職員を犠牲にして自分は法的に問題がないからと言って逃れるわけには行かないだろう。暴対法も組員の行為は、組長の暗黙の指示の中で行なわれるとして、組長にも責任が及ぶ昨今である。自治体においても膨大な権力のある知事等が、「知らぬ 存ぜぬ」と責任を回避することはあってはならないし、220万の県民を欺く県政手段を許すことは出来ない。

 ある報道では「知事選が迫っていたこともあり、政争の具と受け止められたことは否めない」と指摘していた。この報道機関も現況を正確に把握されていない結果での報道である。確かに12月までに結論を出したいと始まった百条委員会であったが、大幅に遅れたしまったことも否めない事実である。当初民主的かつ平等に尋問をするべきと、委員に時間を平等に割り振り尋問を行なった経緯はある。そのことによって重複した尋問も重なり日程が延びてしまったこともあった。更に調査を重ねるたびに新たな疑問や事実も発覚し、多くの証人を呼び尋問をしなければならなくなったことも事実である。せめて知事選挙に影響のないようにと、2月定例会には結論を出すべきと精力的に委員会を開催してきたことも事実である。最初から知事選挙に影響をと考えて百条委員会を設置したものではなかったはずである。客観的情況をよく把握されて報道するべきであろう。むしろ「政争の具」と言わしめたことは報道機関ではなかったのか。

 もし、知事選挙に影響があったとするならば、百条委員会で調査された事項も含め、知事の日常の県政運営に「NO」と判断した県民がいたと言うことである。それは選挙民として正しい判断を下したことになる。

 県職員の多くは権力者・田中知事の意向を、日常の業務の中で仕方がなしに受け入れ、本来の正義を押し殺して執行の手伝いをしていたのである。それは職務義務があるからである。それを拒否して職務義務違反で解雇されれば明日からの生活が窮するからである。その位の事は平気で行なう知事であったからである。(一部ではそのようなことをほのめかされた職員もいたと聞いている。頻繁に行なわれた理由の分からない人事異動を見ても脅威を感じていたはずである。)

 県政の透明化を重い課題に残したのは、紛れもなく田中知事であったはずである。このような結果は検証委員会設置の段階で読まれていたはずだ。県知事を辞めるに当たっても尊い県費を使って、自分を正当化させる手段こそ糾弾するべきではないか。いずれにしても長野県民が知事を県民の意思によって審判を下されたからには、後は臭い物に蓋をしたままでよいと済まされる問題ではない。ここは外野からものを言うのでなく、捜査機関や司法の結果を静かに待つことが賢明ではないだろうか。

 県政の透明化は本来、田中知事が反省の念があれば既に再発防止の策をしていたであろう。不透明な県政運営の行為を認めない田中知事の元では無理な話である。透明化の重い課題は田中康夫氏個人が今後の人生の中で背負っていくことであろう。知事が交代した時点で透明な県政となり、再発防止は速やかに行なわれることであろうと思う。

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 2006年8月6日、新しい長野県の幕開けとなる新リーダーが決まった。得票が612,725票対534,229票、僅差でなくはっきりと田中ノウと県民の皆さんは審判をくだした。「村井仁新知事」当選おめでとう。長野県民は最初の2年間はともかく、最後の4年間の田中康夫氏の私物化県政に苦しめられ、誠実で堅実な新しいリーダーを求められていただけに、良識ある長野県民が大勢いたことに喜びを感じている。ともかく、一緒に戦い間違いの無い審判を下した同士の皆さんに「ありがとう。ご苦労様。」と感謝の気持ちを精一杯お伝えしたい。

 田中前県政の功罪については様々な人が今後も検証され語り続けられると思うが、「罪」の多かった前県政の悪癖を悪戯に追うのでなく、正しい検証のもとで公平に県民の利益を最優先することが大切であろう。田中康夫氏の「罪」は大小にかかわらず、機関において裁かれるものは裁かれ県民の皆さんに明らかされていくことであろう。しかし、もうすでに県民の皆さんは裁かれたのである。

 県民の審判が下された田中康夫氏は8月31日まで任期がある。お盆をはさみ残り15日ほどの期間であるが、よもや人事や組織を動かすことはないと思われるが、また臨時議会などとサプライズな県政の置き土産はしてもらいたくないものだ。良識ある県政運営のもとで任期を全うしてもらいたいものである。

 いずれにしても壊されることはストップできた。壊された長野県を創り直す事は容易でなく、時間も掛かることであろう。220万県民のためにお互いに真剣に取り組んでいかなければならない。私たち県議会もまともに議論が出来ることに改めて喜びを感じている。勿論「後戻り」することはありえないし、県議会も今日から新知事に対し「是々非々」で向き合うつもりである。今までは田中氏の巧みな言葉遊びに負けないように勉強してきたが、これからは県民の皆さんのための長野県づくりのための勉強を更に積み重ね、悔いの無い県議会議員としての務めを果たして行きたい。

 重ねて良識ある県民の皆さんと同士の皆さんに、「新知事誕生」に向けてご奮闘いただいたことに感謝申し上げ、ともに喜びを分かち合いながら、明日の新しい長野県の再生の夢を見ながら、久しぶりに心地よい疲れをとりながら休みたい。「皆さんありがとう」

 

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 滋賀県の新しく就任した嘉田知事は、マニフェストの掲げた項目のいくつかを見直しをするとのことである。その見直しの項目を見れば「小中学校の少人数学級の実現・職員の一割削減・人件費の二割削減、更に選挙戦で一番焦点になっていた『新幹線新駅の予算執行を停止する』としていた」それらを見直しすると言う。

 すべて有権者にしてみれば投票の判断をする重要項目であったはずである。それらを深い議論もせず見直しや方針転換をしたのである。しかも「有権者を欺くものではない」「大きな組織や権力を持たない新人が、限られた情報や時間で作成した」だから見直しはやむを得ないとのことである。コレを欺むいていないと言い切れるだろうか。

 少なくとも議員と違って首長のマニフェストは、その首長が出馬している自治体の将来あるべき姿を示しているのである。有権者は当然そのマニフェストなり言動(街頭演説や記者会見、討論会など)を聴いて投票行動を起こす人も多い。出来ないことでもいかにも出来るような公約を有権者に示せば、その約束事を信じて、来るべき市町村や県の将来像を描き支援することになろう。新人だからといって逃れるものではない。勿論現職が挑戦する選挙であっても許されないことである。

 為政者なればこそ誠実さを失ってはならない。確かに自らの公約も見直しをしなければならない場合も出てきても不思議ではない。しかし、十分時間をかけ議論を闘わしてからでも遅くはないはずである。当選してしまえば何を遣ってもよいと言うものではない。我が長野県でも言葉だけ先行して実行が伴っていないことも多く見受けられた。滋賀県だけの問題とせず、我が県も現実をよく注視して8月6日を迎えるべきであろう。

 最近疑問に思うことが沢山ある。その一例を挙げてみよう。住民から(県民の)たとえば児童館など強い要望を受け、市町村は県や国に事業の補助金を申請される。県は財政難を理由に不採択とするケースが多い。事業は市町村単独になるか継続事業として翌年に回すことになる。(コレが水平協働・水平補完と言えるだろうか)しかし、先日の辰野町の国道153号線陥没災害現場では、仮復旧なのに鋼板ガードレールでもなく木製ガードレールが設置されている。本復旧までの間バリケードか安全ロープでも良いはずである。

 方や住民の要望でありながら財政難の理由で補助金も出せないでいながら、片方では必要としていない贅沢品を使用している。ムダ使いも度が過ぎていると思う。県の財政と予算の使い方を知らないわけでもないはずであるが不自然である。土木部は仮復旧のあとは本復旧をしなければならないことは分かっているはずである。その仮復旧箇所に木製ガードレールなど設置する考えは無かったはずである。職務代理者を置かなかったことにより、執行者なのか候補者なのか混同され、いらぬ疑いの目で見られてしまう事も仕方が無いことなのかもしれない。

いずれ、3日後は審判が下される。

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