現在位置:ホーム»としみつTime'sトップ»記事一覧ページ

私の意見 

 最近の報道を見聞きしていて気になることが多い。新聞やテレビを見ても視聴者に何を伝えようとしているのか。問題の本質が何であったのか。時を経つごとに問題の核心が見えにくくなってしまっていることが多い。これが知らないうちに「当たり前の事実」として視聴者(国民)に浸透していくことが恐ろしい。

 朝青龍問題がモンゴルで治療すると言うことで、最近その模様を伝える報道が多くなっている。「解離性障害」と私たちには馴染み薄い病名の治療となっている。確かに現在は精神的な病を治すことが先決であろうが、その発端となった腰の「疲労性骨折」はどうなったのであろうか。その為に巡業を休んだはずである人が、本国でサッカーを興じていた事実が発覚した。横綱としてのモラルの問題が問われたのである。

 あのサッカーを興じている映像を見る限り、腰が疲労性骨折しているなんて到底思えないが、弁明のない限り仮病と言われても仕方がない。仮病でなくても腰を完治しなければ横綱としての相撲が難しくなるのではないか。その核心であった「疲労性骨折」の治療についてはほとんど報道されず、責任が相撲協会だとか部屋の親方にあるとか、またモンゴルでの行動が云々と、的が外れた方向にエスカレートしている。文化の違うモンゴルでは本質を正しく報道しない限り、相撲協会などの処分に批判を向け、日本との関係も悪くなることも懸念されることになる。事の本質は何かを正しく見直し報道するべきではないか。

 県公共事業評価監視委員会の金子勝委員についての問題の報道もいかがかと思う。県土木部も手続き上や手法に反省する点は十分あるが、委員会に連絡もなく一度も出席しない上に、出席勧告依頼と思われる「意向確認」文書を受けておきながら何の連絡もしなかった金子委員の、県公共事業評価監視委員会における信義・信頼感・人間性・職務上の責任はどうなるのか。「田中派の委員排除か?」「反対する委員の排除か」と言う問題ではないだろう。ここでも一番本質的な問題から遠ざかっている。だからこの問題がぼやけてしまっているのだ。

 私は以前県会議員になってまもなく、県教育委員の同意案件が本会議に提案された。その委員候補は県教育委員として遜色なく崇高な識見をもたれていた、慶応大学院教授の金子郁容氏であった。私は当時テレビ出演も多く、高校改革問題など山積した県教育委員会の定例会以外にも、臨時的に開催されようとしていた委員会に、出席が出来るだろうかと不安が先であった。そのため、私は同意案件に反対を表明した。おそらく私一人だけであったように記憶している。

 しかし金子郁容氏は欠席もあったが、私の不安を見事払拭し委員会に出席されていた。どのように忙しくも公職である委員会委員を受けたからには、出席してその委員会に与えられた使命に基づき活動するべきと思う。同じ「金子」でも大きな違いがある。報道関係者ならずとも私たちの日常にも、問題の核心を離れた議論が如何に多いか反省させられる面がある。お互いに気をつけていきたいものである。特に影響力のある報道は注意していただきたいと願うものである。

|

私の意見 

 15日 同僚の金子ゆかり議員のはからいで諏訪湖花火大会を、創志会の仲間と初めて桟敷席で見させていただいた。感動の連続で素晴らしいひと時をすごすことができた。この諏訪地方はこの諏訪湖花火大会や御柱祭など、全国的にも有名なイベントや祭が開催されている。この影には多くの皆さんの支えと、伝統を受け継ぐ心があってこそと、地域の皆さんの熱意に頭が下がる思いである。

 腹の虫が切れるほど(?)五体に響き渡った花火の轟音と、夜空に広がった美しい色鮮やかな大輪が、自分の脳裏にはち切れんばかりに納め、その余韻を残しながら桟敷席を後にした。その帰りに驚いたことは、至る所に楽しみながら飲んだり食べたりしたはずのビンやトレイや袋などが散乱していた。自分だけ楽しめば後は関係ない。おそらく誰か掃除してくれるだろうなどとも思っていないだろう。若者だけとはいわないがマナーの悪さに情けなくもなり、素晴らしい余韻を打ち消すような光景を見て心を痛めた。

 次の日のニュースの中でボランティアの皆さんが、朝早くから大勢が参加され後片付けをしている姿を見るに付け、一層悔しさが増してきた。確かにごみの袋を持って歩くのは恰好が悪いと思っているのかもしれない。しかし大会本部でも「最寄りの出口に用意してある回収所に入れてください」と言う内容のアナウンスがされていた。ものの数秒間の作業をすれば出来ることである。みんなが汚していくから私もでなく、私から率先して片付けて帰ろうと思って欲しいものである。しかもせめて、他の人の分までもしなくも、「自分の食べたり飲んだりした分だけ」を片付けてくれればすむことである。

 教育だとか躾だとか語っていても拉致があがらない。もちろん長い将来のために即刻それらを教えていくことは、真剣に取り組んでいくべきではあるが。今できることは、社会全体でそのイベントや祭に参加した人達が、勇気を持って「自分の出したごみは片付けていこう」と声を掛け合っていくことが必要ではないか。根気よく粘り強く、繰り返し一人でも多くの人が声を掛け合う運動をするべきではないか。自らが体験して初めて、当たり前のことであるが清掃に協力できた爽やかさが、その人の体に染み付いていくものと思う。最初はいやいやながらでも良い、繰り返し実践することで片付けることが当然となって来るのではないだろうか。

 特に若者の場合、散らかしたままで誰が片付けてくれるのかも考えない『この行動』は、将来自分の子供たちに片付けなさいと言えるのだろうか。今すぐどこの地域のイベントや祭などの際、お互いに声をかける運動を起こしていこうではないか。普段は他の国から見ればごみも少なく美しい周囲の環境である日本、イベントや祭のときだけは特別扱いにすることはない。悪しき慣習は改めていくべきである。私は常に袋を小さくたたみ携帯するよう心がけている。これからは私も率先して声をかけていくことにしたい。

|

私の意見 

 8月6日の活動報告の「実態と法の乖離に苦しむ現実」中で文章の間違いがあったので訂正させていただきたい。活動報告の行政書士会農地部会に参加したときの意見を述べた箇所である。文章では〔これも法を無視してまで農地を守るべきとは言わないが、知恵を絞れば農地を守っていくことは可能であろうと思う。〕とあるが、『これも法を無視してまで農地を解放するべきとか、農地の処分を緩和するべきとは言わないが、知恵を絞れば第三者の手(田舎暮らし希望者等)によって、農地を守っていくことは可能であろうと思う。』と訂正したい。なお、8月6日のブログ記事は本日付けで訂正いたしました。

 永田町では先の参議院議員選挙で自民党が大惨敗し、その後の議論が錯綜している。自民党代議士会で小坂憲次先生が野球のピッチャーを例に、安倍総理の政治姿勢にクレームをつけていた。これを自民党内や政局を混乱にさせると捉えるか、国民の判断を真摯に受け止め、総理の目線を国民に向けようとしているためと捉えるか、受け止める人によって異なると思う。私は勇気ある発言として評価したい。

 安倍総理の進めようとする政治は理解できる。しかし政治の手法手段とそのときの情勢判断を誤ることがあっては国民にしわ寄せとなる。今回の選挙結果は自分が退陣するしないは別としても、選挙で訴えてきたことの結果が現われた現在、自分の基本は守るにしても手法手段は軌道修正し、国民の判断を受け止めていくべきではないか。今までの自民党は「何とかなるだろう」意識で幹部数人の考えで、そのときの政局を乗り越え国民の負託を受けた代議士先生も文句も言わずに追随してきた感がある。

 それを、ご本人のいる前で堂々と反省を求めることは素晴らしい行為であると思う。私たちが4年前に当選させていただいた長野県議会は、まさに当時の県議会の判断を県民は『ノー』との判断をしたのではないだろうか。その後の県会は私の聞き及ぶ範囲にいて、以前の県議会から大きな変革がされたと思う。お互いが切磋琢磨しながら会派を超えて議員としての意見を述べ合い、その中で長野県議会としての議会改革が進んできたと信じている。

 それを思うと小坂先生の行動発言は評価できるものである。しかし、政局を混乱させるのでなく、真に国民に目を向けた国会議員として、一日も早く国民が下した判断の結果を踏まえ、まず政権与党の責任政党としての良識ある政治姿勢と態勢づくりをし、国民の負託に応えていただきたいことを期待したい。方や民主党にとっても選挙の大勝利におごらず、いたずらに国会を混乱させる事のないよう、責任ある国会対応を望むものである。お互いに党利党略のためでなく、国民を主体とした政治を願うものである。このことは私たち県議会議員も国の姿に重ね合わせ、もう一度県政・県議会運営を見直す良いチャンスであろう。

|