「三位一体改革は地方分権改革の原点に立ち返り、地方が住民と向き合いながら地域の実情やニーズに応じて、地方の最良で創意工夫を生かすことができる、真の分権型社会を実現すべく取り組む」。田中知事の12月定例会の議案説明の中で語っていた。田中知事に三位一体改革や民主主義を語る資格は無いだろう。自らが民主主義をいかにも高らかに掲げながら、やっていることは民主主義を全く冒涜し踏みにじむ行為を繰り返している。
「長野県知事としてたとえ、相対的に少数者であろうとも、長野県民であり続けたいと願う方々を護らなければならぬ責務がある」。民主主義の原点は何か知っていて、言っているのだろうか。長野県知事としての職務を忘れ、ただ田中康夫個人の考え方、個人の思想感で県民の多数の意向には耳も傾けず、いかにも真剣に考えたと見せかけのパホォーマンスと、ゼスチャーたっぷりの演技を見せ、県民をだまそうとしている。強権政治というより無知で自らの決断ができず、田中思想(田中教祖)に共鳴してくれる人のみの意見を取り上げ、それらの信者の声を政治的判断にしている。全く恐ろしいことだ。山口村の越県合併の経緯や、今後の影響は改めて記すまでも無い。
県民は馬鹿ではないぞ
田中康夫は長野県知事でなく似非(えせ)長野県知事ではないのか。就任以来改革の名において、ことごとく長野県を壊し続けてきた。壊したあとの長野県をどうするのか、どうするべきかの確たる考えを持たず、わけの分からない文筆家的な言葉の遊びを繰り返しているのみとしか思えない。「県議会の皆さんと腹蔵なき議論を戦わせていただきたく存じます」と言われるならば、台湾辺りへ行き、長野県のりんごを宣伝に行くのでなく、後日の文筆活動のために田中康夫を売りに行くようなことはしないで、しっかり腰をすえて休日を返上して、県議会と議論をするべきではないか。自分で国外へ逃げまくっていて、いざ議論をしようとすると本筋から逃げ、最後は『議会の皆さんは何をお考えになっておられるのか、私には理解しがたい。』と蚊の鳴くような声で、県議会の人たちは私を単にいじめ苦しめている。と言うようなコメントを報道機関の前で演技し、県民の純真な心に訴えようとする姿が眼に浮かぶようだ。そのような手法は、今の県民には通用しない。県民も馬鹿ではないし盲目ではない。住所も定まらず、選挙権も無い、民主主義を冒涜し、壊してもつくれず、自分の回りは田中教の信者を集めやりたい放題、県民移りのよい美辞麗句でごまかし、国のことは批判できるが自分のことは棚に上げしている。そんな長野県知事に愛想を尽かしていることに気がつかないことが、むしろ哀れにも思える。それ以上に県民が哀れな日々を繰り返しているのだ。
病院で診察が必要な田中知事
残り約2年任期を無駄にしないために、今からでも遅くは無い、本当の県民益を目指し、目を覚ましていただきたいものだ。もっともブラジルの日本語版新聞に書かれていた記事を見る限り、田中知事をあきらめるより仕方が無いかもしれない。誤解をされてはいけないので、大方の皆さんはご存知かと思うが、現地日本語版の新聞の記事を紹介しよう。
作家で日本の芸能界にも顔を出していた田中県知事は、日本では何かと騒がれているが、奇妙な行動が周りの人を驚かしている様子。日系団体との懇談などでは「カモシカ・やっしー」と呼ばれるマスコットのワッペンを常に背広の左胸につけていたが、ブラジル到着までの機内でも、縫いぐるみを隣の席に置き、食事の際には自らの飲み物とともに縫いぐるみ用としてミルクを頼み、スチュワーデスに怪訝な顔をされたとか。どうもエライ人のやることは庶民には分からない。この記事を見て情景を想像しただけでもぞっとする思いだ。隣の席のファーストクラスの航空運賃を誰が払うのかという疑問の前に、強制的に病院で診断をしてもらうよう経営戦略局は手配するべきでは無いか。ついでに長期入院の手続きをとった方がよろしいようだ。知事代行者は、経営戦略局以外は沢山いるように見受けられる。越県合併も、多くの課題もいっぺんに解決できるかもしれない。一考を要してみたらいかがか。もう田中知事に振り回される県政運営に終止符を打とうではないか。皆さん疲れていませんか。楽しく、県民とともに信頼の置ける県政運営を取り戻しましょう。

